Mobile Learning


歴史(日本)1

_ 織田信長 (1534〜1582)

織田信長は1534年に尾張(愛知)で織田信秀の嫡男として生まれた。 幼名は吉法師。若いころはその派手な振る舞いから”うつけ者”と呼ばれていた。14歳の時に敵国であった美濃(岐阜)の斉藤道三の娘・濃と政略結婚 する。この二人には子供はできなかったらしい。 信長は18歳(1552)で織田の家督を継ぐが、その頃の尾張は織田一族 が割拠し、かつ信長の家督相続に納得していない者もいて信長にとっては 不利な状況だった。そこで信長は反信長の立場を取っていた弟・信行を 謀殺し、尾張の統一を始め、1559年に完成させた。 1560年駿河(静岡)の今川義元が攻め込んできたが、信長の奇襲作戦 で勝利(桶狭間の戦い)。その名を全国にとどろかせた。その後徳川家康と同盟を結び、1567年には美濃を支配下に治めると「天下布武」(武力で天下を治める)という印判を用い始め、天下統一を視野に入れて動き始める。 1568年に足利義昭を奉じて上洛。義昭は信長のおかげで将軍になることができたが、自分が飾り物に過ぎないことを悟り本願寺の顕如、朝倉義景、浅井長政(信長の妹・市が嫁いでいた)、上杉謙信、武田信玄らに反信長戦線の結成を呼びかける。信長最大の危機か!と思われたが、1570年の姉川の戦いで浅井・朝倉を破り、上杉謙信・武田信玄の病没でこれを逃れ1573年には義昭を追放して室町幕府を滅ぼした。 1567年には安土城を築城。天下布武を成し遂げるため、北陸地方に柴田勝家、四国に丹羽長秀、中国に羽柴秀吉らを派遣する。1582年武田家を滅ぼし、いよいよ天下布武完成かと思われた矢先のこと。中国の毛利氏にてこずっていた秀吉のもとへ向かう途中、本能寺に滞在中に明智光秀の謀反にあい燃え盛る本能寺で自害(本能寺の変)。49年の波乱の生涯に幕を閉じた。


あなたは織田信長をどう思いますか?

選択肢 投票
好き 1  
嫌い 0  

_ 上記以外で信長について知っていることを書いてみてください。

Last-modified: Fri, 22 Jul 2005 14:08:34 JST (5610d)