Mobile Learning


歴史(世界)3

_ 歴史(世界)3

 

貴妃酔酒 ――玄宗皇帝と楊貴妃――


京劇の人気演目のひとつに、「貴妃酔酒」というものがあります。


一緒に花見をする約束をした楊貴妃。準備万端を整えて皇帝が来るのを今か今かと待ち続ける。

しかし玄宗は梅妃(多くの妾のうちの一人)の所へと行ってしまったことを知り、玄宗の臣下を相手にヤケ酒。一時は気が晴れるが、やがて寂寥に襲われ、侍女たちに助けられながら宮に戻っていくのだった。


この華やかな後宮でこんなメロドラマが展開している裏で、人臣は塗炭(と言って差し支えないと思われるが)の苦しみにあえいでいたわけです。

600キロも離れた広東地方から長安まで、たったの三日でライチを届けさせたこともあります。想像してみてください。きっと最速の乗り物が早馬だったであろう当時。命令を受けた人はどんな思いだったやら。たかが果物に命を賭けさせられて……ご愁傷様です(と言うのは、ライチを届けよという命を下したのは皇帝であるから。もし違えたら処刑されても文句は言えなかったでしょう)。ちなみにライチを届けた早馬は民衆の目には急ぎの公用と映り、疑う者はいなかったというお話。


この時の玄宗皇帝、60代のおじさんですよ。どう思いますか?

選択肢 投票
おぢさんのすることじゃない。年を考えなさい 0  
別にいいんじゃないの、よく聞いた話だし 0  

さらにこの玄宗皇帝陛下、すごいことしてます。どっちかが本当です。わかりますか?

選択肢 投票
公式に宮に迎え入れるためのオリジナル曲を演奏させた 0  
彼女のための専属楽団創設 0  

個人的には「ちったぁ周りを見なさいこのバカップルが!!」とでも言いたいところですが、この方々にはカタカナが似合わない気がします。


そもそも、楊貴妃こと玉環は玄宗の第18皇子・寿王の后でした。息子の嫁に一目惚れした玄宗皇帝、61歳。形式的な出家をさせてまでお嫁に欲しがったわけです。しかし、皇帝とはいえちっとばかりわがままが過ぎませんか? 自分の亡くなった后に似てたからって、息子の嫁奪っちゃ駄目でしょ。

ちなみに寿王にお嫁に来たときの玉環はぴちぴち(!?)の17歳、玄宗の妃になったのは27歳です。


楊貴妃の一族の中に楊国忠という男(貴妃の又従兄弟)がおります。楊貴妃の寵愛により台頭し宰相にまでなりました。後にこのことが玄宗と楊貴妃を引き裂くことになります。彼の暴政に憤った節度使の安禄山が都・長安に攻め上り、彼は玄宗、楊貴妃とともに、貴妃の故郷、蜀(現在の四川省)へと逃げ出しました。しかし、彼と楊貴妃は護衛の兵たちの裏切りにあい、長安の近郊、馬嵬坡で処刑されるのです。国忠は不満の爆発した兵士たちによって、楊貴妃は高力士という、彼女を玄宗の目に止まらせた人物に絹で首を絞められました。


安禄山という男は、玄宗にかなり寵愛されていました。玄宗に息子と呼ばれ、貴妃に対し母の礼を取っていたといいます。彼は国忠の暴政に憤り、辺境の范陽から軍を進めたのでした。


楊貴妃が悪女のように思えたり、玄宗が愚帝のようにも思われますが、玄宗に関しては、彼は本当に愛妻家だったのかもしれません。


さて、冒頭の貴妃酔酒、日本と中国の感覚の違いやら何やらのせいかと思われますが……半端だと思いませんか?京劇って、ハッピーエンドとあいまいな終わりが多いようです。


(歴史(世界)3 QR コード.png)

 
添付ファイル: file歴史(世界)3 QR コード.png 262件 [詳細]
Last-modified: Mon, 14 Sep 2009 14:57:12 JST (4095d)