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文学(日本)1

_ 紫式部

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_ 紫式部

(むらさきしきぶ、天延元年(973年)頃? - 長和五年(1016年)頃?)は、平安時代中期の女性作家、歌人。

中古三十六歌仙の一人にして、『百人一首』にも入選。生没年については諸説ある。藤原北家の出で、女房名は「藤式部」。「紫」の称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部大丞だったことに由来する。実名は不明だが、香子とする説もある(角田文衞博士が著書『平安の春』で提唱)。

越後守藤原為時の娘で、母は摂津守藤原為信女。幼くして母を失ったらしい。同母の兄弟に惟規がいるほか、姉の存在も知られる。三条右大臣定方、堤中納言兼輔はともに父方の曽祖父で、一族には文辞を以って聞こえた人が多い。

幼少の頃より、当時女性の読むことのほとんどなかった漢文を読みこなしたなど、才女としての逸話が多い。五十四巻にわたる大作『源氏物語』、宮仕え中の日記『紫日記』を著したというのが通説、家集『紫式部集』が伝えられる。

_ 《代表作品》源氏物語

あらすじ:桐壺(きりつぼ)

  いつの時代のことであったか、女御(にょうご)・更衣(こうい)といった、帝のたくさんのお妃の中で、さほど高貴な生まれでもないのに帝の寵愛を一身に集めている更衣がいた。その局は桐壺だったので、桐壺の更衣とよばれていた。  更衣はやがて美しい皇子(源氏)を産んだ。更衣は弘徽殿(こきでん)の女御(右大臣の娘)らの嫉妬を受け、皇子3歳の年、病気で里に下がり世を去った。 帝は深く悲しみ、更衣の里に使者を使わし、更衣の母のお見舞いをされた。 翌年、弘徽殿の女御の皇子が皇太子に立たれた。更衣の皇子は、高麗の相人の占いに従って源氏の姓を賜り、臣下の籍へと下った。     まもなく、先帝の四宮(藤壺)が入内した。この人は亡き更衣に生き写しであった。世の人は源氏を「光君」藤壺を「輝く日の宮」と申し上げた。  源氏は12歳で元服し、その日葵の上(左大臣の娘)と結婚した。源氏はとりすました葵の上に親しみがもてず、亡き母に似ているという藤壺を深く慕い、成長するに連れて恋心を抱くようになっていく。  源氏は亡き更衣の里邸を改築し、二条院としそこに移り住む。

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_ 不細工?

(2005-08-06 12:55:09 (土))

            クマー      イケメン  普通   光源氏
               ┝ - - - - ┿━━━┿━━━┥
    ∩___∩   /)
    | ノ      ヽ  ( i )))
   /  ●   ● | / /
   |    ( _●_)  |ノ /
  彡、   |∪|    ,/
  /    ヽノ   /´

クマクマー!

_

(2005-08-06 12:52:21 (土))

     ∩___∩
  。  |   ノ    ヽ
  \<^i、 ●  ● |    もしもし、警察?
    |ヽ(⌒)、( _●_)  ミ    ここに変な男がいるんだクマー
   彡/  ト、_>|∪|  、`\
   /ノ  /   ヽノ /´>  )
  (_/      / (_/
   |       /

_ 無題

(2005-07-25 14:28:41 (月))

イケメソ

_ ★紫式部クイズ

紫式部の夫の名前はなんでしょう?

(紫式部_0.png)

 
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Last-modified: Thu, 29 Jul 2010 18:54:19 JST (3776d)