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歴史(日本)6 の変更点


 [[歴史上の人物]]
 
 *越後の虎 上杉謙信 (1530〜1578)[#k3145269]
 &br;''Q.上杉謙信を知ってますか?''
 #vote(知ってる[1],知らない[0])
 &br;&br;知ってると答えた人は知ってることを書いてね ↓
 #comment
 知らないと答えた人は必見!!
 &br;上杉のことをもっと知りたい人は →http://www.www2.harimaya.com/uesugi/
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 上杉謙信は、幼名を虎千代といい、元服して長尾景虎と称した。天文十七年に兄晴景と争い、守護上杉定実の調停で長尾の家督を譲られ春日山城主となった。以後、戦国動乱の時代にあって、紺地日の丸、白地に毘字の旗幟をなびかせて、北陸・信濃・関東に出陣を重ねた。宿敵武田信玄との五度にわたる「川中島の合戦」は戦国時代の合戦中の白眉として名高い。永禄四年、上杉憲政から家を譲られ関東管領職に就き、上杉政虎、ついで輝虎と名乗る。のち出家して謙信を称した。天正四年、本願寺と和睦し、織田信長との同盟関係を断ち、はるか遠く中国筋の毛利氏と連携して織田信長挟撃を策した。翌年九月織田方の能登七尾城を陥し、ついで信長軍を加賀手取川に撃破した。しかし、翌天正六年三月、関東への陣触れをした直後、脳溢血で倒れた。享年四十九歳。
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 上杉謙信の生涯 
 ・謙信の一生は東奔西走、まさに合戦に明け、暮れた一生であった。  
   
 元号 年(西暦) 出来事 
 亨禄 三年(1530) 一月、越後守護代長尾為景の末子として、春日山城で生。 
 天文 八月、川中島に出陣(第一回川中島の合戦)。
 
 弘治 元年(1555) 四月、川中島に出陣(第二回川中島の合戦)。 
 
 三年 四月、川中島に出陣(第三回川中島の合戦)。
 
 八月、信玄と上野原で戦う。 
 
 永禄 七年 八月、川中島に出陣(第五回川中島の合戦)。
 
 六年(1578) 三月、発病、十三日、春日山城で卒。享年四十九歳。法号「不識院殿心光謙信」。